2017年1月1日の朝を迎えている。毎朝5時から実施されている倫理の朝起き会の元朝式に出席し、今自宅に戻った。朝起きは不得手で、毎朝5時からの当会には滅多に出席しない不良会員だが、「倫理の実践」は日夜自分の身近にあるいわば「私の流儀」。今朝は年1回の元朝式と言うことで、会長からの年頭之辞を朗読して聞くという日程だ。
 実践倫理の会に関しては、なにか宗教的な団体、国粋主義的団体のように外部から誤解を受けている様子があるので、私の感想を一言伝える。要するに人々の役に立つ生き方をしましょうという、それを「倫理の実践」という言い方で、社会に普及させてきている組織であるということ。指導者と呼ばれる講師からのお話と会員同士の相互意見交流の2方向の情報の中から、自分の生き方を見つめていくというやり方をとっている。
 今朝の年頭之辞の中から一カ所を紹介する。「研究であろうと我々の実践であろうと、それを行う楽しみや喜びの感情の根底には、人々の役に立ち、喜んでもらいたい。苦難や試練に立ち向かう人、逆境下にある人の助けになりたい。未だ見えざる未来の人々と、未来の社会をよくしたという願いが込められています。そばに苦しんでいる仲間がいれば、その苦しみを共有し、相手を思いやるのが実践倫理です。~そばにいる仲間の苦難に無関心で、寄り添うことが出来ないのでなら、何のための実践倫理ぞ。」そう生きているかと自身に問うていく。