知的障がい者のグループホーム(家庭と同様な生活の場)にて定期的に宿直係を担うようになって、もうすぐ2年がたつ。ここで暮らす入居者の方々は言葉はほとんどなく、あってもコミュニケーションの道具にはなっていない特徴を持つ。先日の相模原市の福祉施設での事件はあまりに衝撃が大きく、当事者として当ホームでは話題にするスタッフはほとんどいない。事件は身勝手な思い込みで人ひとり、多数の方の人生を断ち切ってしまい、実行者は犯行声明のような勝ち誇った表情を世間に晒す。
他者には他者の人生があり、特徴があり、意見があり、価値感があり、表現があり、悦びがあり・・・その現実を想像できない稚拙さを持った大人が、悪びれることなく力でねじ伏せて自尊心を満たし、他者の尊厳は顧みることもなし。相模原事件だけではない、同様の顛末は閉塞環境における随所に見られる。私の周辺にもあるあるある・・。
ここでちょっと昨日のホームでの出来事を紹介する。かなり細かい難易度の度高いジグゾーパズルがある。私など1ピースも合わせる事ができない代物。これを30分くらいで完成させるメンバーがいる一方、写真のように、ジャラジャラと音を立てて、ガサガサ感を楽しむ遊び方をするメンバーもいる。終わったら、箱にしまって元に戻す。また、食事の出来上がりをピョンピョンしながら待ち焦がれている一人に、大根おろしの汁のみをカップに入れて渡したら、カップ入りは初めてらしく、何だろうといった顔つきで、隣人の空いたカップに少し移して、チビチビと味見して確認していた。気に入らないようで、その後遊んでカップごとこぼしてしまった。朝食時、食パンに更にバターを塗ってほしいのだが、いくら求めても私に伝わらない。バターを塗る動作を上手にやって見せてくれてようやくわかる。いろいろ頭を使って工夫してくれるので、2年経って、ようやくいくつかの意思疎通ができるようになった。いくら訴えても伝わらない時、もしくは単に眠たい時も、悔しくて服を強くかんだり、自分の頭を叩いたり、大きな声で泣いたりと、行動することがしばしばある。世話人がうまく理解できないことに対して、その内諦めさせてしまうことも、残念ながらあるような気がする。
彼らなりの表現で周囲とかかわりながら、泣いたり笑たっりして人生を送っている。それは誰か別な人と比べて優劣のつくものではない。