昨日は週一回程度の割合で担当している、グループホーム泊り勤務の日。いつも変わらぬ対応「いわなみちゃ~ん」で迎えてくれる入居者がいて、なんとも幸せ。皆さん就寝したのでPCを開く。
昨日は嬉しかったことがある。気持ちを張って電話対応で交渉事をした。
この間、児童相談所に子供を保護されている、主に母親たちと連絡を取り合う機会が多い。児童相談所職員とのやり取りや、家庭裁判所に提出された資料等を見せていただくことが多く、第三者の私が見る限り、思うところがいろいろと見えてくる。とはいっても、親族でもなければ、全くのただの第三者である。児童相談所案件は、全て個人情報であるため立ち入ることができない。しかし、そこで止まっていては、何一つ解決につながらない。
他県の母親からの案件である。児童相談所と母親本人の面会記録などを見ると、どう見ても上下関係になっている。サービスを提供するはずの公的機関の職員が、母親を追い込んでいるのである。録音された音源からもおどおどした緊張感と恐怖感が伝わる。これは尋常ではない。
これらやりとり、母親からの訴えを聞き、見るに見かねて他県の児童虐待担当に先日、手紙を書いた。母親一人で面会に臨むのでなく補助者を同席させられないか、今後の見通しがつくように説明して欲しいという依頼である。昨日、その結果を尋ねるために、県の担当者及び当該児童相談所長に直接電話で話した。直接、話ができたことは大きな収穫だった。予断や思い込みからは一歩も進まないことを確認できた。それによってマイナスを被るのは個人である。組織は気づきもせずに動いていく。
結果、その後、母親に連絡が入り、祖母と市職員同席の上、改めて面会日を決めることとなったようだ。保護されている子供の様子も知り、食べ物の好き嫌いの問合せを受けたという。この問い合わせを母親は悦び、手が届かないところにいる我が子が現実に近づいた感じがするという。この母親の養育能力が不足しているとのことで、子どもが保護されている。夫婦、三世代で子どもを育てている家庭と比べ、母子家庭は圧倒的に同様理由での保護が多い。高齢者介護と同様、家族の力が小さくなったら、補うのは社会資源である。行政側も切り替えていかねば不幸な親子を生み出してしまう。