1月23日(土)、雪が今にも落ちてきそうな都内で、福島で活動する友人と昼食挟んで情報交換した。地震後「福島の子供たち保養事業」を実施したいという私が依頼を行うため、福島市内で会ってから4年半。この4年半で一緒に動いてきた時間も含め、お互い会う度に変化進展する情報を交換できることが、刺激的であり喜びで有り誇りでもある。
福島県の原発事故で避難を余儀なくされてきた地域の市町村とつながり、その取り組みに協力をし続けている経験を持つ。地震から5年経ち、ようやく人々は自分がどこに住み何をしていくのかを決めることができるようになってきたという。自身で決定するという気持ちの確定を経てようやく本来の復興事業に移行するという。しかし、この作業に多くの時間は与えられないだろうともいう。「人口三分の一に減った自治体の予算が三倍にふくれあがった復興予算」もいつまでも続くわけではない。こうした大きな変化と難局に県の職員も自治体の職員も対応できる様子はない。だから自分が関わっていくんだという。
現在日本のトップ企業が、復興特別枠ではなく通常事業枠として現地に入り、まちづくりや観光産業、福祉産業などに着手し始め、その動きと連携して活動しているという。個人が持つ経験と人脈、その積み重ねによってしか本当の復興は成し遂げられない。そんなことを強く感じたひとときだった。