「あれ我が家なんですけど、お茶を入れてあげられなくて残念だわ~」と緑地の中の一軒家の主はおっしゃった。このツアーの主催団体代表だ。現役時代は大熊町で保育士さんを務め、定年間際に地震と原発の爆発で、着の身着のまま避難し、5年たって現在に至っている。ツアー参加者は皆さんの同様の経過を持ち、今もなお、これからの自身の生きていく方法を決めかねている。皆さん、バスの窓から我が家を見ながらどんな思いでいるのだろう。ここは放射線物質中間貯蔵地域の予定地となっている。
平成28年7月9日、雨模様の肌寒い(最高気温22℃)一日、朝から帰還困難地域や中間貯蔵地域を巡る、大熊町町民のバスツアーに同行させていただいた。自分の故郷に入るために、まずは名簿を届け出ねばならない。居住制限地域は自由に出入りできるが、夕方4時までには仕事を終えて帰るようなルールとなっている。自宅の庭木を手入れしている姿や主はいない軒下に風鈴が涼しげな音を立てて、帰宅OKとなる時期を待っているようなお宅もあれば、大きな門塀に囲まれた庭先から、草におおわれている家屋が見えるようなお宅もある。
一方、帰宅困難地域は、自由に出入りできずゲートで閉ざされている。乗車している全員の身分確認をしたのち、ゲートは開けられる。出入り時同じ確認作業がある。ゲート内に入る前に、累積線量計と防護服を渡される。しかし、バスの外に出ることはないので防護服は着用せず、累積線量計だけは全員身に着ける。道路1本隔てて、制限地域と困難地域が存在している。空間放射線量は両者全く違う。なぜか?放射線物質を含む土や汚れをはぎ取っている場所とそのままになっている場所の違いであることが分かる。放射性物質を集めてまとめるいわゆる除染作業を担う大手企業のプレハブの大きな作業所が町の中心地に設置されていた。要するに除染さえすれば、空間線量0.1-0.3に、していない場所は3-5と10倍違うのだ。
見学に参加されている町民が現在暮らす郡山市の自宅の庭には、当時の表面の土壌が袋に入れて埋めてあるという。はぎ取った土は自宅の敷地内から出してはいけなかったのだ。鎌ケ谷市でも同様、除染作業をした土壌が学校や公園の隅に埋めるしかなかった。要するに運び出しておける場所がなかったからだ。あれは今どうなっているのだろう?白井で最近、その場所の線量が高いことがわかり、住民の動揺を招いていることが報道されていた。大熊の自宅が中間貯蔵場所になるのだから、そこに運んでもよいかと尋ねたが無理であるといわれたとのこと。全てはこの中間貯蔵場所を一刻も早く完成させて、各地に飛び散って各地で保管している放射性物質を集めるしかないのだ。これによって、除染作業をもっと早く進めることができる。除染と廃炉・・2つのいつ終わるとも知れない作業がこれから、自分が生きている時代は続いていくことになる。たいへんなことだ。