大型連休とやらを皆様いかがお過ごしですか?「とやら」と言いましても、私はいつも手のつかない作業に集中できる日々を送っています。連休様々です。この連休中に、チェルノブイリ事故から10年後に発行された「チェルノブイリの祈り」を読みました。あのときのまま荒廃した家屋を祈りに近い気持ちで見ている・・という作者。あの時の目撃者らが何を見てきたのかを語る形でつづられています。疎開した子供たちが光るだろうからと「ホタル」と呼ばれてきたこと、牛を銃殺する仕事を任命された兵士、兵士として召集令状が来て、事故の起こった発電所の屋根に上って数十秒間だけ作業をしたこと。渡された計測器はおもちゃであって測定できなかったこと、誰も戻らないとわかっている家屋の屋根を水で流して除染したこと、肥沃な大地の表層土を削り取って除染したこと・・放射線被爆の身体がどのように崩れていくのか、消防士の夫をみとった妻の証言・・などなど。
先月、帰還が始まった故郷に戻ってきている多方々にお話を聞かせていただきました。皆さん、あの時のことから話はじめてくださいます。飼っていた牛は、汚染物質として全頭さっ処分されたことと、吹き矢で眠らせて薬で命を絶ったこと、その牛たちを5メートルほど掘った田んぼに埋めて、つい最近ようやく、全ての田んぼから骨を掘起こす作業が終わったこと。小さなおにぎりを貰うのに列を作って並んだことをあんな惨めな思いという・・町の車が「すぐ逃げるように」と回ってきたので、指示があるかと思って待っていたら、周囲のすべてが逃げていて自分たち夫婦だけが取り残されたこと・・地震直後の第一原発から作業員・社員が第二原発の近くの体育館に避難し、人間が汚染物質となった可能性があるため体育館内に閉じ込められたこと等々。日本で行ってきた除染作業はロシアの経験を導入してきているのでしょう。
25年の時間を経て起こった2つの大惨事。ロシアほどひどい情報統制はないだろうと願いますが、それすら何が定かかわからないのが現状です。現場の目撃者らが語る言葉は、25年を経ても全く違う国家において、ほとんど同じことをおっしゃることに驚きの連続です。「政府の発表内容は信じられない。」という方でも現地に戻っていらっしゃる方がいます。一人は経済的な補償がないために元の自宅でしか暮らせないという理由、もう一人は、生きている限りこの事故で何が起こってきているか事実を、自身の測定を通じて示していきたいという理由からです。何も知らされず作業に従事した家族や子供たちを亡くした証言がたくさん記載された「チェルノブイリの祈り」からみると、人命を大事にしていただいている日本の現状に隔世の感を思い胸をなでおろしながらも、その実態や将来の見通しは誰も明言できないことを認識するのです。
その政府のおっしゃる事実は何かを考えることがありました。4月から開業されたばかりのJR浪江町駅に設置された空間線量計が示す値は、0.384マイクロシーベルト、そこから400-500メートル離れた浪江町役場の空間線量は0.066マイクロシーベルト、同じ街中で5倍の差があるのです。年間通じて同様の数値の様ですから、線量が下がったので戻れますというが、どの数値が実態なのかが分からないのです。