議会が終了するのを待って、2泊3日で福島に行ってきた。今回は初めて入る浪江町が中心だ。あらかじめ、住所と氏名、生年月日を登録して通行許可を得る必要がある。案内をお願いしたのは、福島市内の仮設住宅で暮らす自治会長さん。線量が高い困難地域を経て、山を下ると双葉郡の中心地であった町の中心部がある。放射線量は0.068と福島市よりも少ない。浪江町は平成29年4月からエリアを限定して戻る町民を受け入れていくこととなっている。役場はオープンし、町営住宅の建設、小中学校の改修も行われているが、どの程度戻るかは担当する職員も分からないという。故郷を離れてからの6年間という時間は長く、それぞれが新たな土地で新しい生活拠点を作ってきている。『復興』という意味を、「町」という漠然としたあいまいな存在に対して使っているが、私は住まいを追われて、戻ることのできない「人」に対して使うのが正確なのではないかとしみじみ思う。人が生きるためには衣食住だけでは足りない。希望や生きがい、明日することがあり、自身の存在を認められることがよりよく生きるには何より大切だ。このよりよく生きる条件を有無を言わさずはぎ取られてしまったのであるから、復興とは失った生きる意味を取り戻すことに尽きるのではないかと思う。
浪江町の帰りがけに、標高の高い場所に位置する飯舘村に寄ってみた。同じように来年4月から村民が戻るということで、村役場も通常通りの勤務となっていた。浪江と違うのは、この6年間に人が行き来してきたようで、家や道路などいつでも戻れるように整備されていた。地震の被害はほとんどなかったようで、いつでも戻れる様子だった。地震と津波と原発で大きなダメージを受けた浪江町とは全く様子が違っていた。