昨年は東初富テニスコート事件があったことで、随分と教育委員会に迫る機会が多かった。4年前の弓道・アーチェリー場事件の時も、同じく教育委員会が相手だった。いずれも市民の行動が伴ってかなり激しいやり取りに発展するので、職員としてそれは嫌かもしれない。
テニスコートの案件に関しては、役人が事実でない説明をしたこと、その説明を正しいものと信じて議会が市民の陳情を否決したこと、そのことを報告チラシで指摘したら、議員が匿名で会議をやり発言した私抜きで処分して、ルールもないのに議会だよりにて大きく公表したこと・・こうした一連の議員集団による暴力的振る舞いによって、役人の発言の正誤を超えて事件と化していった。議員は未だ誰もが知らん顔で、どなたからも一切のコメントなく平然としていて、こうした中で仕事をするのだから気分が良いわけない。職場や学校でいじめを受けている人間が耐えられなくなるのはよくわかる。これら厳然とした事実は私を含めて、関わったすべての議員らも今後忘れることなく過ごすことになることになるのは間違いない。
といういきさつが加わり、東初富テニスコートは思いのほか長引いてしまったのだ。「厳しく追及されると協力してやろうと思わなくなります」という職員側立場を代表しつつ、私への親しみも込めて今日ある方から助言を頂いた。私がかなり執拗に粘っていることは紛れもない事実ではある。せめて職員自らの発言の不適切だった部分を認めて、市民に対して訂正して欲しいという一念からだ。役人組織の中でこれら問題の本質を認識し合うことなく、変な議員がうるさいので協力するな程度に思っているのは大いなる勘違いだ。反省なくして進歩はない。「協力をしてやろう」といった役人中心主義の勘違いを是非正して欲しい。何が市民の利益かをひたすら追求して欲しい。
これら勘違いは市民を置き去りにするだけでなく、決して自分らの組織を守ることにはならない。組織はひとりひとりが抱えている仕事上の課題に目を向けて、職員が自身の力で乗り切っていける支援をするという必須の任務があるはず。誤った発言を正当化するのではなく、認めて正していくという勇気を与えていくことが本来の任務だ。なんでも役人の思い通りに議会の結論が導けることに緊張感がなくなっているのだろう。気持ちを引き締めて欲しい。