3月,4月は、卒業式入学式のシーズンだ。市議会議員は、自身の地元の小中学校の式に、招待いただき参列することができる。とりわけ、卒業式は感涙を誘うものだ。式に臨み校長先生から、6年間を過ごしてきた児童たちに、最後の言葉を伝えることとなる。「問題に突き当たった時に、逃げずに乗り越えていこう。そして、近くに困っている人がいたら、助けてあげることのできる大人になろう。」とそんなメッセージであった。先生が心込めて準備してきたその一言一言は、児童のみならず、参列する私どもが姿勢を正していく力をも持っている。小学校が本当の「教育の場」であることを思い知る場面だ。
 人は他者との関係でしか、自身の存在を認識できない。ありがとうと言われて、役立っていることを実感できるのだ。小学校という社会は、仲間同士、上級生下級生、先生、事務の職員さん、交通安全の旗を持つおじさん・・・それらの周囲とのかかわりから人間として成長できる場である。私は30代で市議2期を務めて、その後議員から退いた。仕事を通じて「ありがとう」と言われることがほとんどない職場で、自身がおかしくなっていくことが分かったからだ。その後、人生経験を積み、蓄えてきたパワーで再度復帰した。
 市長選挙を戦ってきている私は、アゲインスト・逆風をまともに受ける場面が日常茶飯事だ。意見や問い合わせをしただけで、なぜだか問題として扱われることもしばしばだ。しかし、こんなこと何ということはないのだ。むしろ、行動の成果程度に受け止めている。徹底して覚悟を決めて市民の立場に立つことで、十分な賛同と手ごたえを感じ自身の行動の正しさを確信できるからだ。全ては、気持ちの持ちよう。もう少し、一人一人が何かしら思うことを我慢しないで発言する必要があるのではないか、とそんなことを思う日々だ。

卒業式を彩る菜の花

卒業式を彩る菜の花