先ほど、雨の中知人が事務所に寄って下さり、市議会議員が発行する議会報告について、仲間と話したことだと報告してくれた。「市政の様々な施策に対して、私はこう思うと書いてはあるが、ならあなたは何を行動してきたのか、していくのか・・が欠落していますよね。わたしだって言うだけなら何でも言えます。」とのご指摘を受けた。正に的を得たご指摘である。政治家が信頼を得ていないのはこの辺りではないかと思う。意欲的な発言をするから、では具体的に行動を求めたら、逃げてしまうか、反対に回ってしまうか・・これでは市民との関係は築けまい。

自己保身か同調圧力に屈してか、よくわからないが、選ばれた人が選んでくれた人の立場に立って、一人であっても主張し行動してくれるから、たとえすぐに具現化できずとも、市民の気持ちは沸き立ち、奮い立ち行動に繋げてくれるはずである。民主主義を信じてくれるはずである。多数が正義であるとはだれも思っていない。

東北の被災地で「傍観者にはなりたくないんだ。」という言葉を聞いた。私はいつもこの言葉を頭の中で繰り返して生活している。解説は解説者に、評論は評論家に任せて、庶民は実践者となって行動しよう。自分が関わるその一点から地域に足跡をつけていくのだ。行動から得る実感によってゆるがない確信と仲間が広がる。