9月19日、私が代表を務める児童相談所のあり方を考える地方議員懇談会の勉強会で、一時保護を経験した子どもから直接話をうかがった。やや長いが、その時にその中学生が説明してくれた内容を以下に記載する。

子どもの目に映る一時保護の世界
~僕から見えた景色~

一時保護について
僕が受けた一時保護について説明します。
僕たち家族と全く関わりがなく、僕や妹のことを知らない人間が児相に通報しました。
児相はその人間の発言から、僕たち家族を虐待家族と疑い、一時保護しました。
なぜ一時保護されるのか、どのくらいの期間保護させるのか、これからどうなるのか・・・説明はありませんでした。
説明されることなく、僕はある日突然、一時保護所に閉じ込められました。
一時保護所では、男女別々にされ、男女間の会話を禁じられました。
僕と妹は話すことを禁じられました。
なぜそうしないといけないかの説明は、ありませんでした。
食事は、小学校低学年から中学生まで全員同じ量が配られました。
そして完食を義務づけられました。
なぜ年齢や体調に関係なく、量や完食が義務づけられているのか
その説明は全くありませんでした。
私物は問答無用で全て没収されました。

TV・ラジオ・新聞・インターネット・・・
全ての情報収集手段を封鎖されました。
僕が一時保護されていた期間は2020年2月下旬から4月末です。
コロナ・緊急事態宣言に関する情報を得ることは出来ませんでした。
当然、タレントの志村けんさんが亡くなられたことも知りませんでした。
電話・メール・手紙・・・一時保護所の外との連絡手段も封鎖されました。
学ぶための環境も奪われました。
一時保護所から出るために、本名を名乗ることを禁じられました。

住んでいた家に帰ることを禁じられました。
通っていた小学校に登校することを禁じられました。
産まれてきてからの思い出の品を全て処分するように、指示されました。
僕に残された物は、肉体だけになりました。
児相は、僕を保護したのではなく、僕たちからありとあらゆる人権を剥奪しました。
僕たちは人間として扱われていませんでした。
児相に一時保護されている子ども達は、心臓が動いているだけの、ただの肉の塊にされます。
「人はパンのみに生きるにあらず」
この有名なキリストの言葉は、児相には存在しません。
それは、僕たち子どもを人間とみなしていないからです。
罪を犯した人間には人権を与え、一時保護した子どもから人権を奪う・・・
法律・国が、それを許しています。

虐めについて
僕は、転校して間もなく虐められました。
ここでも、人間扱いされませんでした。
生きているのか・・・死んでいるのか・・・わからなくなりました。
一時保護される前の本来の僕であれば、僕自身を守るために、
奴らを殴っていたかもしれません。
学校に行かないという選択もしたと思います。
でも、そのどちらも出来ませんでした。
それは理由が何であれ、やり返したり・登校しなかったら・・・
学校や児相の大人達が何をしてくるかわからなかったからです。
僕は、二度と一時保護で家族バラバラにされたくなかったので、
普通でいようと我慢しました。

精神疾患発症・睡眠障害
中学生になり親の離婚が成立すると、児相が僕たちと関わらなくなりました。
そうすると今度は急に身体が動かなくなりました。
動かそうとしても動きません・・・
そして、生きている感覚がなくなりました。
わーっと叫んだり、物を壊したり、お腹が空いて無くても無理矢理何かを食べていると、生きている感覚が得られました。
その後、睡眠障害が1年以上続きました。
一睡も出来ない日が続いたと思えば、起きられない日が続き、
全く社会生活が出来なくなりました。

24時間空いているコンビニ・24時間いつでも見られるYouTube・・・
そこが、僕が生きることを許してくれる唯一の世界でした。

今振り返ると・・・
虐められたときは「嫌だ」と素直に思えていました。
親に怒られたとき「うるせーな」と素直に思えていました。
でも一時保護されたことは、それ以上に人生最大級に嫌だったのにも関わらず「嫌だ」と素直に思えませんでした。
きっとそれは、テレビや学校から伝わる児相・一時保護の情報から、悪い物・悪いことではない・・・と思い込まされていたからだと思います。
素直な気持ちとしては「強烈に嫌」なのに、「嫌と思ってはいけない」「嫌と思う自分の頭がおかしい」と考えていました。自分の気持ちをどんどん否定していって、今思うとそれはまるで自分を殺す作業でした。
そして昨年の77月、実際に僕は僕を殺そうとしました。
失敗したので、今ここでお話しが出来ています。

一時保護に関わった大人に対しての感想
一時保護をされる前、僕は小学校で
「人の嫌がることをしてはいけません」
「人の話はきちんと聞きましょう」
そう言い聞かされていました。
それはその通りだと思っています。
虐めをしてきた奴らは、僕が嫌がることをしてきました。
そして、学校の先生の注意は全く聞いていませんでしたが、警察の人に注意されると、
形だけですが謝ってきました。
しかし一時保護に関わった大人達は、僕の嫌がることをして、僕の大切にしているもの全てを壊しておきながら、自らの行為を正当化して、今までもこれから先も、僕たちのことを無視し続けるつもりです。

8月に、教育委員会で通報した校長先生と話をする予定でしたが、直前でキャンセルをしてきました。
「僕の話を聞くふり・・・」それさえも拒む姿勢を知り、失望・絶望と言う言葉では足りないものを感じました。
今回僕は、大人になって権力・権限を持てば、どんなに人の心を傷つけても、どんなに人の人生を破壊しても、それを正当化できて罪にならないことを学びました。
そして、目の前にいる子どもの心を傷つけてでも権力に従い自分を守ることに全力を尽くす大人がいることを知りました。
僕は、この世界で一番恐ろしいことは、未熟で弱い大人が権力・権限を持つことだと思います。
なぜなら、未熟で弱い大人が権力を行使するとき、それが正しいかどうか自問自答できないと想像するからです。
彼らは、人を傷つけたことすらも理解してないでしょう。これまでの歴史を振り返った時、戦争はそういう権力者のもとで起きているように感じます。
一時保護は、それを知るための授業でした。

矛盾を感じる日本のシステム
逮捕された人は人権が保障されているようです。
一時保護された子ども達は、何一つ悪いことをしていないのにも関わらず、人権が保障されていないように感じます。
いくつかの具体例を挙げていきます。

①一時保護の説明がない
悪いことをして逮捕される人は、裁判所からの逮捕状を見せられて説明があって逮捕されるそうです。
僕たちは、どうして一時保護されるかの説明をしてもらえませんでした。
②これからどうなるかの説明がない
逮捕された人は、何日くらい留置所に居る・・・とか、その後どうなるのかの説明があるそうです。
僕たちは、どのくらい保護されるのか説明がありませんでした。家に帰れるのかどうかの説明もありませんでした。
③弁護士が来ない
逮捕された人は、弁護士の先生が翌日までには必ず来てくれて、しかも無料で弁護してくれるそうです。
僕たちには、味方になって守ってくれる人が誰も来ませんでした。一時保護期間中はひたすら孤独・・・でした。
④TV・インターネット・ラジオ・新聞・・・これら全ての情報収集手段を剥奪される
逮捕された人は、毎日新聞が読めて、世の中のことが知れるそうです。
昼休みや夕食の時にはラジオが流れていて、流行の音楽も聴けるそうです。
僕たちは、一時保護所の外の様子が全くわかりませんでした。
⑤全ての私物没収・自分の服すら着られない
逮捕された人は、家族から差し入れして貰って自分の服が着られるそうです。
僕たちは、家族からの差し入れを禁止され、下着さえも与えられたものしか着ることが出来ませんでした。
⑥与えられた物以外、食べられない
逮捕された人は、出されたご飯が食べたくない場合は外部にお弁当注文が出来るそうです。お菓子も選んで注文して買えるそうです。
僕たちは、食べたいものを食べられませんでした。お菓子も買えませんでした。
⑦教育を受ける機会がない
逮捕された人は、家族から本・資格取得のための参考書・ノート・など差し入れて貰って、勉強しようと思えばいくらでも出来るそうです。
僕たちは、学校に通う事も教科書を読むことすらも禁止されました。
⑧誰とも連絡が取れない
逮捕された人は、親・兄弟・子ども・友達・・・・と面会や手紙のやり取りが出来るそうです。
僕たちは、家族だけでなく学校の先生・友達・・・誰一人とも自由に連絡を取ることができませんでした。
一時保護期間中に、母が2月に出した手紙を僕が読むことができたのは4月でした。
父が出した手紙は受け取ることができず、今も行方不明です。
面会は、一時保護解除になる10日前の1回のみ許されました。
⑨一時保護解除後の生活についての話し合いの場に参加できない
これからどうしたいか・・・どうしたらよいのか・・・そんな話合いをすることはなく、
一時保護と同様に、問答無用で児相の指示に従わないとなりませんでした。
⑩元の家に帰れない
逮捕された人は、逮捕される前に住んでいた家があるのであれば、その家に戻れるそうです。
僕たちは、元の家に戻れませんでした。
⑪一時保護解除後も家族と会うことを禁止される
逮捕された人は、釈放されたら家族・友達が「いいよ」と言えば会えるそうです。
僕たちは、保護解除後も家族や学校の友達と会うことを禁止されました。相手が僕と会うことを嫌がっていないのに会うことを禁止されました。

僕は今中学3年生です。
公民の教科書に書いてある、全ての国民に保障されている自由権・社会権・自己決定権が、
一時保護所には存在しないように感じます。
教科書に「これらの権利は一時保護所では適応されない」とは書いてありません。
一時保護された子どもは何一つ悪いことをしていません。
なぜ、逮捕された人よりも、待遇が悪いのですか?
何の目的で、このような罰を受けなければならないのでしょうか?
子ども達が納得できように、だれか説明して下さい。
一時保護解除後に、眠れなくなったり・不安になったり・無気力になったり・・・と、
様々な体調不良が起きるのは、この理不尽な罰を耐え抜いた事が原因のように僕は思います。
児相は、僕たちが一時保護所で常に恐怖を感じ・我慢していることに、全く気づいて無いように思います。