私が相談を受けることとなる児童相談所と親子との関わりの中で、99%が訴えることは「身に覚えのない不適切行為や虐待が捏造されていて、それは一生訂正させることができない記録として残される」ことの恐怖と絶望である。我々はどの家族内にも発生している大小のトラブルを誰からも抉り出されることもなく、葛藤を抱えながら、解決を試みながら家族を運営している。その家族内の大小の軋轢を逐一取り上げて、どなたかからの通報内容、保護した児童からの聞き取った言葉をつなぎ合わせ、不適切な養育環境を創作し、公文書として作成し、その内容は当事者である親や子に見せ間違いがないかと確認をすることもなく、行政内で共有されて、虐待親のレッテルを貼られ四面楚歌状態に追い込まれ、長期の親子分離の措置を受ける。生涯会えなくなることもある。
なぜこんな親子分離が起きてしまったのか、その理由を明らかにするまでは家族の戦いは終わらない…と、自己情報開示請求をするために訪れた警察本部の前で、戻った息子とその兄と母親は互いに誓い合った。それから5年以上経て、つい先日、全く身に覚えのない、母の病名が記された文書を入手したという。この病気になったことも受診したこともないのに、それが事実となっていて、息子が警察を通して連れ去られたことが分かったという。虚偽DVがあるように不仲な親族の通報内容が、事実かどうかの確認もなされずに理由となって親子が分離され、すぐ解除されることもなく、数年も施設に送られ面会を制限されるというのは、あってはならないことだ。
「人間として失格で、生きる資格がない人間のように、何百枚も書かれます。これを読んで反論しなければならない状況をご想像ください。」子の施設入所をさせるための審判に、児童相談所側が提出する書類にひどくダメージを受けて、寝込んでしまっている別な母親から苦しい訴えが毎日のように届く。何故そこまでのことが人としてできるのか?当事者の皆さんが嘆きながら、恐怖とともに不可解に感じているのが、児童相談所という組織、そこの職員、そこの弁護士に対してだ。ナチスドイツの強制収容所の体験を通じて、人間とは何かを追求したユダヤ人精神科医フランクルの書籍を見ると、そこで働いていた職員と児童相談所で働く職員がどうも重なって見えてしまう。「私が知っているのは犠牲者です。加害者は知りません。」という記載があった。犠牲者を生み続けるシステムであることに皆さん気づいて欲しい。