3月3日~5日、予てより温めてきた近未来プロジェクト、福島県相馬地域と千葉県北西部をつなぐ、野馬追い共同プロジェクトの可能性を探りたくて、南相馬市と相馬市の人たちに会いに出向いた。私自身は、2011年丁度14年前の東日本大地震を機に、避難所に暮らす児童たちの保養事業、福島のこどもたちを千葉県に招いて、を3年間にわたり数回実施してきた。その縁から、福島での復興に取り組むNPOの理事となり、今日に至るまで持続的に温めてきた取り組みがある。それが野馬追をシンボルとした、千葉と福島の交流プロジェクトである。
野馬追の歴史は1000年前、千葉県における野馬を追い込む作業を軍事訓練として相馬氏が福島の地に持ち込み、江戸時代からは富国安寧を祈る神事として、毎年欠かすことなく持続している無形文化財となっている。以前、原発立地地の大熊町にて行ったシンポジウムになぜか発言者として参加した際、原発被災地に新しい街ができ、元居た住民が戻るというよりも県内外からの移住者で構成される地域となり、その新住民たちが拠り所となるシンボルとして、相馬野馬追を軸にできないかという交流が行われていた。それを見て、相馬野馬追は、千葉県だけでなく、復興していく福島県においても貴重な財産であること認識してきた。
そんなこんなで、各方面での野馬追関係者とのこの度の交流を通じて、武者行列を派遣するだけにとどまらない、希望が確信に変わり、濃密な3日感を終えて戻ってきた。

