「役立たず」「死んでしまえ」「母親が包丁を自分に投げつけた」「父親からバッドで殴られた」と毎日、親から殴る蹴るの暴力を受けている・・・と子供は説明する。でも子どもの身体には痣もなければ傷もない。この間、ある児童相談所の面談同席をする機会をいただいた。児童相談所の職員が、こうした子供の発言に驚き、何が起きているのかを必死に探ろうとしてきたようだ。ある事例ではすでに3か月間の一時保護となっている、別な事例では施設入所となり2年間も親子面会はできていない。

ある母親が言うには、この包丁はままごとセットの包丁、別な父親が言うにはこのバッドは、野球応援の時に持って振るプラスチックおもちゃの小さなバッドとのこと。役立たずも死んでしまえも、毎日のように見ているゲームの世界の主人公になった気持ちで、戦いの中で浴びせられた言葉を言っているとしか思えないという。

事実はどうであれ、こうした子どもの発言があったこと、子どもが恐怖を感じていることこそが虐待だと児相職員は真顔で言う。そうですかと反論はしないが、これによって、3カ月も親と面会ができず一時保護所に閉じ込められている必要があるのか、2年間も親と会えず、親の顔さえ忘れて施設で暮らさねばならない理由がどこにあるのか?